リリカルナタワゴト

岡山在住、自虐的な自称映像作家、坂星るぅのブログ「リリカルナタワゴト」にようこそ。

ログ:2007年11月

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映像のコピーとヲリジナル:破 Cパート

今日は、ビデオ・アートの父と言われているナムジュン・パイクの作品を取り上げてみたいと思います。
Techno boyTV Cello
左は"Techno boy"右は"TV Cello"という作品なのですが、この2つの作品、前回述べた二人の作家の作品とは少し毛色が違うところがあるのがどこかわかりますか?
実は、前回述べた作品群は主に映像を主体とした作品であるのに対して、この2つの作品はたとえ映像がなくても十分オブジェとして成り立つことにその相違点があるのです。
そこで気になってくる事は、いわゆるオブジェとインスタレーションの境界はどこにあるのかということです。
すなわちインスタレーションの定義とは何かということです。
次回は、前回予告した内容を若干変更して、インスタレーションである事を定義するために必要な要素は何か?という事に焦点を当ててみたいと思います。

つづく
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映像のコピーとヲリジナル:破 Bパート

クロッシング2クロッシング1上の作品は彼を代表する作品の一つである「クロッシング」という題名のビデオ・インスタレーションで、片方のスクリーンでは男が手前に歩いてきて立ち止まり水浸しになって消える様を、もう片方のスクリーンでは男がまた手前に歩いてきて立ち止まり、今度は火だるまになって消える様をスーパースローで表現しています。

そしてその二つの映像が表示されているスクリーンは、表裏一体の構造となっています。観覧者はそのスクリーンが吊るされている、映像に相まった大音響が鳴り響く空間を一方からもう一方へ行ったり来たりすることによって、この作品を体験していくことになります。

私が今年の三月に行った兵庫県立美術館で行われていた「ビル・ヴィオラ はつゆめ展」では、タテ10m前後はあるであろう大型のスクリーンに投影されていました。

キャサリンの部屋また「キャサリンの部屋」という一連の作品では、一人の女性が部屋で暮らしていく様を5つの違う時間軸を用いて表現されており、そのそれぞれが別々のモニターで表示されることによって、絵画でいえば連作とも呼べるような様相を呈しています。ビル・ヴィオラの作品が「動く絵画」といわれるゆえんだなと思いました。


中折れになるかもしれませんが、今までこれらの作家をあげていく過程で気づいたことを言うと、これらの展示する空間を含めたと思しき作品を観たときに私が思ったのは、これらのオリジナルとコピーの境界は、演じているものが生身の人間か否か、脚本の有無をのぞいて演劇が持つオリジナリティに近いのではないかということです。

つまり観客はその作品が生み出す時間と空間を、他の観客と共有しているという意味において、演劇と変わることはないのではないかと考えました。ただ演劇と違うところは、その体験の中核となるものが俳優のアクションではなく大量複製可能なメディアによってなされたものであるということだということです。

続いて、これもまた有名な映像作家ですが、ナムジュン・パイクをあげたいと思います。
その後、現代における前衛的な映像作家についての講釈とそのオリジナルの根拠、そこから転じてインスタレーションの定義とは何かなどを解説していきたいと思います。

破 Cパートへつづく
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映像のコピーとヲリジナル:破 Aパート

先週、不慮の事故により日記の更新ができなかったので、今回はボリュームを倍増して送りたいと思います。
では今回は前回予告した通り、映像の新しい可能性を模索していったヴィデオ・アーティストたちを紹介していきます。

まずトップバッターとしては、動物と人間との調和をテーマに写真や映像を撮り続けたグレゴリー・コルベールをあげたいと思います。彼は映像作家というよりも、写真家に近いスタンスを取っており、その表現手法も"ミックスメディアの写真作品は、アンバーとセピアのトーンをかけ合わせ、特殊なプロセスで手作りの和紙に焼き付けられています。写真作品は、およそ180×360cmの大きさで、いずれも説明文などはないまま展示されます。これは、鑑賞者とイメージの間のインタラクションを制限しないよう意図しているためです。"とあります。(公式サイトよりママ引用)

彼はまた自身でもでビデオカメラを回しており、動物たちと人間が戯れる有様をセピアトーンでありのままエフェクト無しに撮影しています。

映像編集は2度アカデミーを受賞したピエトロ・スカリアという人が担当しているそうですが、その現場にはコルベール本人も立ち会ったのではないかと思うのと、映像を作家自身の表現媒体の一部として用いているということは、建築家坂茂氏とのコラボレーションも相まって、ヴィデオ・インスタレーション作家の具体例をあげる上でふさわしいのではないかと考えました。

彼は自分の作品を公開する上で「ノマディック美術館」という移動可能なコンテナを積み上げた空間を(先ほど触れた坂茂氏の設計により)作り上げ、自身の撮りためた写真あるいは映像を展示するにふさわしい空間を作り上げることによって観覧者に作品を含めた「場の体験」をもたらしたことは特筆すべきことだと思います。

続いては、70年代より映像を撮り続け「動く絵画」とでも言えるような制作スタイルを確立したビル・ヴィオラについて解説していきたいと思います。

つづく
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映像のコピーとヲリジナル:序

えー、それでは先週予告していた「映像のコピーとオリジナル-体験のビデオ・アート」についての話をしたいと思います。

まず始めに映像(映画)とは何であるかという事を書こうと思います。
映像は絵画や彫刻などと違い、版画や印刷物、写真などと同じ大量複製が可能な代物です。現在ではデジタル複製技術の発達によりそのコンテンツ自体のオリジナルとコピーの境界はほぼ無いに等しいでしょう。

それ故に現在ではハリウッド映画などの商用映画は厳重にコピーライト=著作権の管理が厳重になされていると思います。その傾向が特に顕著なのがディズニーキャラクターなどの著作権なのですが、これらのキャラクターが保持している権利などについて長々と書くと、話が逸れてきそうなのでここではあえて割愛させて頂きます。

こういった傾向がある中で、さて映像を立体やその周囲にあるものと組み合わせ、自身の表現手段の一部として扱うビデオ・アーティストが作り出す、速い話がビデオインスタレーションなどの作品の場合、そのオリジナルのありようはどう変わっていくのでしょうか?

私は、それによってもたらされる体験そのものがオリジナルの根拠たり得るのではと仮定しました。
次週は、もっと突っ込んだ話や具体的な作家について話をしていきたいと思います。

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